昭和51年04月01日 朝の御理解
御理解 第53節
「信心すれば、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。」
本当の信者、真実の信者と書いてあります。ね、本当の、真の信者に折角信心をさせて頂くのですから、うその信心であったりにせものの信心であったりしてはなりません。矢張り、願う眼目というものがいわゆる真実のいわゆる本当の信者を目指させてもらう、本当の信心を求め、求めしていかなければいけません。金光様の御信心を頂いておるから、ああ、こちらは本当の信者だというわけには参りません。ね。
金光様の信心を頂いておっても偽物もあれば、本当なものでないものも沢山あるのです。愈々本当な事というとまた、厳密に申しますと大変むずかしい事になりますけれど、願う所、目指す所は本当の信心を頂こう本当の信者にならせて頂こうという願いが、持ち続けられて居る所へ、より本当なより真実な信心を体得して行く事が出来る。これを生涯かけて繰り返して行く事でしょう。
生涯では無い、あの世に行っても矢張りその本当の信心を求め続けていく。本当の信者というのは、いうならあれもおかげであった、これもおかげであったと解る様になると。中々解って居る様であって又これを厳密に言うと、大変難しいのです。それを愈々本当のものにすっきりと、いうならばもう一切が有難いんだと、もうなにもかにもが有難いんだとねえ、純粋にそれが頂ける、そういう信心が頂けた時にまあ本当の信者になる。だからそういう信心を目指さなければなりません。
あたくしの少年時代に、丁度今のまるしょうの方達がこんなに沢山集まって、色々勉強致しましたり信心の稽古をまあ、子供ながらもさせて頂きます。当時は子供会というよりも親教会、善導寺の教会で信者の師弟が集まって、色々まあお話しを聞いたり、いろんな活動をしたりしておりました時分でした。丁度先年亡くなられました親先生が学院から帰られた早々の頃だったと思います。
そして間もなく北野の方へ奥様と御一緒に布教においでられましたから、その期間だったと思うです。今善導寺の教会の三井教会の筆頭総代である所の岸新太朗先生、長年小学校の校長さんをなさいました。私よりも7歳多いですから、私が13歳であったら先生が丁度はたちじゃった。親先生が20なんさいであんなさっただろうとこう思います。いろんな行事が終わってまあ、みんなが一服しておる時先生方も二人で表の玄関の所で腰をかけて、なんか一生懸命信心話をなさっておられた。
まあいうなら17歳のまあ、青年と20歳の青年教師というてもいいですね。その当時の若先生私がまあ、10歳なら10歳といたしましょうか。岸先生が17歳、親先生がまあ20歳。丁度以前はその正面玄関のすぐ横がお手洗い鉢でした。お手洗いがありました。手洗い鉢です大きな手洗い鉢。あたくしはなにげなしそこに立っておりましたらその、岸先生と若先生が一生懸命信心話をしておられた中で、その、岸先生が若先生に向って、当時の若先生に向って。
「若先生、信者はそげん沢山作る事はいらんですよ。本当な信者を1人作って下さい。」もうえらいそれに力を入れて、その話しておられる、それが私の耳に入ってきました。そん時なんかあたくしは、その電気にしびれるような思いがした事を記憶にしております。沢山な信者ごたあいりません。もう一人でよいから本当の信者を作って下さい。そん時に私は手洗い鉢の前でこのくらいしか離れておらんでしょう、2,3尺しか離れておらん位な所ですから聞こえて来るんです。
その本当な信者に私がなろうと思うたです。たった一人で良いといわれる、そのたった一人の本当の信者にあたしはなろうと思うたです。思うたらもうどこから沸いてくるかしらんけれども感動ですね。いわゆる涙がこぼれて、涙がこぼれてしようがなかった。あんまりおかしいから、すぐ正面玄関の左側がこのみかん畑がありました。小さい。5,6本ぐらいみかんが植わっとる所、そのみかん畑の中に入って泣いた事を覚えております。もう、鮮やかにその印象は残っております。ねえ、
だからまあ10の年から今日で私しの63の誕生を迎えるわけですが、いうなら50年間その事を思い願い続けてきておると言う事です。というてならまだ本当の信心というものはでけておりません。ですから願いをもたなければならないと言う事です。もうおかげさえ頂けりゃよかと言った様な信心じゃあもう、いつまでたってもだめです。勿体無いです。それでは。ね、本当の信者真実の信者、その本当の信者を目指してもらう。ですから、いつも同じであってはいけません。
もう厳密にいうたらもう、日々がさらな信心で進んで生きらなきゃなりません。本当に私は昨日、昨夜は月末御礼信話会でございましたから昨日は大変、まあ今迄とは変わった信話会でした。皆さんの体験発表と言った様なものではなくて、私しは今月一月のまあ、合楽教会のビッグニュースというたらどう言う事であろうかというて、皆さんに問いかけました。考えてみると随分こりゃあもう、毎月毎月の事ですけれどもまあ、その西岡先生がずっとそれを書かれましたが。
ああこれもやっぱりビッグニュースの1つでしょう。というのをずっと拾い上げてまいりまして、それを1つ1つ思い出させて頂いて、例えば中村徹美くんがああいう大きな、いうならば事故に遇ってしかも無傷状態でおかげを頂いて、しかもあの不思議な不思議なその後の働きというかね、背なで泣いてる唐獅子牡丹のあの歌が、あのカセットの中に全然電気が通うていないのに入っておったと言う様な、まあそれこそ合楽でそれを見たり聞いたりしてなかったら。
そんな事があるものかと言った様な、不思議なおかげを頂いておるようなあんな事柄をね、ずうとこう拾うて参りましたらどの1つ1つをいうても不思議な事じゃなと言う事と、まあなんと言う素晴らしい御教えであろうかねと言う様な、その特別の御教え一番最近昔というか月初めになるともうみんなが忘れてしもうとる。もう手前の所から、まあ一番なんというても素晴らしいのは最近いわれるお互いが、ね、信心の真を現すと言う事なんかこりゃ素晴らしい事ですよと、これが一番手前の所。
それから大黒様にお茶やら水やらをお供えしよったのを、ね、おかげの泉の本をもうこれは合楽のバイブルだ、聖書だとして丁重に扱わせて頂かなければならんと、いわゆる大黒様にお供えをさして頂く、これが一番親先生が喜んで下さる事だろうと言うて、そういうご信者さんの中に、そういう働きが起こったお話しをさして頂いた事やらも、矢張り変わったことじゃった。
日田の綾部さんが、おかげを受けられた事なんかも、もうやっぱりビッグニュースの一つであろうと。もうそれこそひと月の事ですけども、あまりに次々と、ね、例えば信心の世界でなからなければ味あわれないような大きなおかげ話とか、又は今までかつて頂いた事のなかった、御教えに触れてお互いが、ね、更に更にいうならベターの信心で進んできた。ひと月間振り返ってみると。と言う様にもう絶えずです、私共の信心が先月と今月が同じであってはならないと。
同じであるとするならば、それは信心が一つも進んでいないのだと。これはもう私の流儀だからと言うて、その枠から出られない様な事ではいけないというわけです。だから本当な信心を目指しておるというだけで、同じいいとこにおると言う事があって良かはずがない。本当の信心本当の信者を目指すなら目指す程です、いつも変わっとらなければならない。ね。そして斯く信ずるとこれが本当だと、いうならば分かったならば、それにすぐ切り替えていかなければならないと。ね。
「何事にも信心になれよ」と頂いた。中々何事にも信心になれよと、信心の真を現すと言う事と大体同じ様な事だけれども、信心の真を現すと言う事になったら、もう日常生活の、する事なすこと言う事が、変わっていくというほどしに皆がおかげを頂いておる。お掃除をさせて頂くでも、ただ御用とか、ただお掃除とかじゃなくて、このお掃除の中に、いかに真を現すか、信心を頂いておらなければ現し得ない真の現し方があるんだという頂き方になって参りましてから、内容が大変変わってきた。
三代金光様が、十三のお年からご結界奉仕になられた。親金光様が早くてお国替えになられた。その跡をお受けになられてから、ご神前奉仕をなさった。「初めの間は、もう辛うて辛うてよう泣きました。それが親様が座っておらば楽じゃと仰せられたから、泣く泣く辛抱しいしいに座っておりましたら、思うこともなくなり、欲しい物もなくなり、有難うて有難うて、そのお礼の足りないお詫びばかりをしております。」というこれは三代金光様のご晩年の頃のご述懐のお言葉です。
七十年間もお勤め貫かれて、その初めの間の事をじっと思い浮かべられてからのお話しなんです。まあようも続いたもんである。初めの間はそれでも辛うて辛うてよう泣いた。それでも親様が座っておれば楽と仰るから、楽になるまで座ろう思うて一生懸命お座りになったというのです。そしたら思う事が第一なくなられ、いわゆる我情がなくなり、欲しい物がなくなり、いうなら我欲がなくなりただ有難うして有難うして。
だから有難うして有難うしてというだけではなくて、それでも尚且つです、ね、お礼の足りないお詫びばかりを致しておりますと言う所に、三代金光様のご信心が、まあいわば躍如としておるわけです。昨日の御理解を頂いた後に、昨日ここで研修をさせて頂きます時に、末永先生が「今朝方からこういうお夢を頂いた。」と言うのです。畑れんこんというのがありましょう。
あれは何とか言いますね、畑れんこんの事を、おくら、ね、のお夢なんです。神様が昨日御理解の説き得てなかった所を頂いておるわけでしょうね。お互いが、信心が出来た出来たと言うけれども、例えば本当にそこに、真の信心を願い、真の信者にならせて頂こうという間違いのない所に眼目をおいて信心を進めていく。そすとね実際はまあ合楽の御比礼で申しますならばです「はあ合楽の親先生は、あれだけの信心が出来ておられるから、あれだけのおかげを頂いておられる。」と言う事ではないと言う事。
例えばここに今、百何十名かの人がまあ、おりますでしょう。その人達がです。集まるほどしのいうならば信心は頂いてないけれども、もうそれだけの信心がでけた事として、神様がいうならばレンコンくうて下さる。だからこれがあたしの信心だというならここでいつも申しますように、信心それには必ず証がなかなければいけない、実証がなかなければいけん。いかに有難い、有難いもうあたしは我情が取れた我欲が取れたというておってもです、もしその人が難儀をしておったら。
あんたが有難いというのはほんなもんじゃないのだと。それこそ我情がはずれ我欲が離れたらわが身が神徳の中に生かされてある喜びというものがいつも、心の中になからにゃあいけんのだ。しかもその喜びには限りないおかげが伴のうてくるものだ。それが限りないおかげに伴なうと言う事が証です。信心の実証です。ですからならこれ程しの人が合楽で助かっておるからこれ程しの信心が、親先生でけておられると言う事だというたら、それは間違いである。
実際はこの十分の一も信心はでけておらんのだろうけれども、それがでけたかのようにして、おかげを下さってあるんだと言う事になります。例えばまあ数字的にいうと解りますね。百万円のおかげを頂いたから、百万円だけの信心がでけておるから、百万円のおかげを頂いておるんだ。その証拠にはあたしがたが百万円の信心をしておるからこそ、百万円にはいつも不自由せんのだと。ね、例えば文男先生がこのごろ体験発表の時にいうてましたですねえ。もう私は御造営の時に。
まあだ十何年前の百万円といえば値うちがあった。御造営が始まったときに一番初めに神様に願うた事は、どうあっても百万円だけはお供えしたい、その頃はまあだ、それこそ商いも細々としておった時分ですから、とても十万円の金でもおぼつかない様な時代であったけれども、願いをたてた。そしたら5年掛っても10年掛っても、この百万円のお供えだけはさせて頂きたいと、願わせて頂いておりましたら。
おかげでここの御造営が2年掛った、その2年掛り終わった時にはもう、その百万円のお供えをし終わっておるほどしにおかげを頂いた。以来私は百万円だけには不自由をいたしません。使うても使うてもいつも百万円はある、いうなら使うて減らぬ金百両というお徳を受けたという発表をしておられます、ね。だからうんなら文男先生が百万円の信心がでけたから百万円の事には不自由しないというのではなくて、本当いうたら十万円がたの信心もでけていなかっただろう。
けれども神様はレンコン食うて下さって百万円のおかげを下さってあるんだと言う事なんです。解るでしょう、そんなら。そういう頂き方になりませんとです、金光様がね、あの御述懐の最後の所にです、有難うて有難うて、ね、勿体無いおかげを受けておりますがです。そのお礼の足りないお詫びばかりを致しておりますと言う事になってこない。それが次の信心を、愈々金光様の御信心を完璧なものにしていったんです。
ただ有難うして有難うして、御礼だけを申しておりますというだけではいかんのです。これだけの人が集まるような信心をあたしが頂いておるから、これだけの人が集まるんだと。いかにもそれは信心の証であり実証であるから、そう言うてもよかそうにあるけれども、私自身としてはです、ならまあ毎日千名余りのお届けがあります。だから千名方の信心がでけておるから千名のお参りがあるんだと。
いうたらもう、私は信心は留まっておると思う。百人方の信心もでけておりませんのに神様はこの様なおかげを下さると言う事にならなければならない。それこそおくらじゃあないけれども、ね、畑れんこんと言う事は、いわゆる向こう先を見てというかレンコン食うて下さってのおかげだと。だからこれだけのおかげが頂けておるという頂き方やら思い方ではいけない。本当に信心もでけんのにこういうおかげを頂いておるという時に、始めてそれが、信心の滋養になると言う事です。
このへんは大変大事な所です。末永先生が頂いておるのはそういう事。畑れんこんというのは大変あれは滋養が多い野菜だそうです。神様がれんこん食うて下さってこれだけのおかげを下さってあるのですから、ね、まあ文男先生の例でいうとです。使うても使うても、百万円だけのお徳を受けた。それは十万円方の信心もでけておらんのに神様は百万円のおかげをいつも下さるんだと。そういう頂き方がです、神様がれんこん食うて下さる所のおかげを、愈々おかげたらしめるだけではなくてです。
そういう謙虚な思い方がです、信心もでけておりませんのに、お詫びばかり致しております。と仰せられる金光様のお言葉と十万円方の信心もでけておりませんのに百万円のおかげをいつも下さるという頂き方が、そういう頂き方が愈々より本当な信心にお育てを頂くと言う事になるのです。あたし百万円方の信心がでけておるけん、百万円には不自由しない。こういう頂き方にはもう、信心がそこには留まっておる。そういう意味の事を末永先生は昨日頂いておるのです。
毎日毎日日参をして、一生懸命御用もさせて頂いたからこういうおかげを頂いた、というのでは、ね、おかげを頂いたという喜びはあるけれども信心の滋養になりません。信心を愈々肥やしていく、信心をより大きくしていく肥やしになりません。そりゃ人間ですから、限度というものがあります。そのぎりぎりのたとえば信心をさせて頂いてもです。あたしがあの時にあれだけ、一生懸命の信心をしたからこれだけのおかげを頂いた。というのではなくてです。
それでもいうならばこれですんだとは思わんと、教主様は仰るお言葉。いつもこれですんだとは思わない。もうこれで良いとは思わない。そういう信心にです、あたくしは愈々、より本当の信心が育っていくと思うのです。ですからこれは私しの少年時代にです、本当に実感として感じた。先生方が話しておられる、沢山ごとはいらんから一人でも良いから本当の信者を育てて下さいと言うておられる、その本当な信者にあたしがなろうと思うた。その思いが50年間今日まで矢張り続いておる。
そいでいて本当の信心を頂いてもおらんのに本当のおかげがこの様にして現れておる。今日などはいうなら私しの、その63回の誕生を祝うて下さる、お祝いをして下さって、今日の歓学祭の後に祝賀会を毎年、まあ皆さんがして下さる事になる。あたしのお取次ぎ、あたしのおかげでみんなが助かっとじゃけん、もうそれくらいの事は当たり前とあたしが思うたらもう、あたしの信心はもう、そいで留まっておると言う事になる。
思うていけんのじゃない。
けどもそれではもう、信心がそれまでなんです。ね、信心もでけぬのにみなさんがこの様ないうなら、盛大な祝賀会なら祝賀会をして下さって本当に勿体無いという心、そこで私は今朝から神様に御祈念の時に申し上げました。今日は私しに沢山の人が集まって、私しの誕生を祝うて下さるというのですけれども、これは私を祝うて下さるのではない。それは合楽の御ひれいとあたくしは頂いた。私しの信心がでけておるからじゃあなくて、合楽教会の御ひれいとしてです。
5よりも10,10よりも20の盛大な歓学祭、月例祭そしていうなら私しの誕生お祝い会と言う事がです。私がというのではなくてです、これは合楽の御ひれいとして頂かしてもらう。皆が私しを祝うて下さっておるというふうな頂き方は致しません。と言う様な事を今日は神様に申し上げさせて頂いた様な訳であります。信心は私しはそういう頂き方をして行く事がです、愈々本物であり本当な信心が、よりよくより有り難くでけていくと言う事になるのだと思います。
だから問題は先ず第1にです、その本当な信者にならせてもらおう。真の信心をわからしてもらおう。それが眼目でなからなきゃいけません。事の全てがです、ああ本当の信者になる為に真の信心を解らして下さる事の為に、ことの全てがそれに入ってくるわけです。ですからあれもおかげであった、これもおかげであったと言えるようになるのです。どんなに苦い問題でありましても苦しい問題でありましても、それがより有り難い信心を頂かして下さる事の為の神様の働きであると。
言う所におかげであると。頂けるのです。そういう稽古を繰り返させて頂いてです、もうそれこそ生涯をかけての事でござりますけれども、願い所をですいうならば間違えておりますとポイントがちがいますから、いくら信心を続けも本当な所にいくはずがありません。きちっと目的というものを真の信心、真の信者にならせて頂こう。そういう願いをはっきり立ててからの信心の稽古じゃなからなければならんと言う事になりますね。
どうぞ。